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一家の経済危機を乗り越える秘策 その2

2010年9月29日

ファイナンシャル・プランナー ゆりもとひろみ

前回は、家計の現実を見れず、対策が取れない人には、人任せ、運任せの考えがあるというお話をしました。今回は、もうひとつのパターン、恐怖心から、支出を減らすことができない場合の、原因と対策をお話したいと思います。

現実を見られないパターン(2)・・・恐怖心で支出が削減できない

「リストラや転職で収入が半分になった」という非常事態の場合、どうすればいいのか? 原則はきわめてシンプルです。単純に「支出も半分に減らす」ことさえできれば、家計の破綻は起きません。

  • 食費や娯楽費といった生活費を抜本的に見直す。
  • お金のかかるレジャーや交際はやめる。
  • 母子ともにブランドで固めないと白い眼で見られるような、お受験ママたちと、背伸びしてお付き合いするのはやめる。
  • 車のランクを下げるか、手放してしまう。
  • 携帯は仕事で使うお父さん以外は解約してしまう。
  • 子どもの塾もやめさせ、私学進学もあきらめてもらう。
  • 住宅ローンは動かせないとしても、物件を貸すか売りに出して、家賃のずっと安いアパートに移り住む。あるいは実家に逃げ込む。

ちょっと極端な例も挙げましたが、これくらいやれば、たいていの家庭で支出を半分にすることはできるはずです。でも、実際収入ダウンという現実に直面しても、このような思い切ったコストカットができる人は多くありません。分かっていてもズルズルと支出オーバーを続けてしまい、破産や自殺などの悲劇を招いてしまう方も後を絶ちません。

どうしてでしょうか?

それは、人間の精神性に答えが潜んでいます。

向上欲求に逆らわず、家計のリストラを実現にするには

人間は「向上することに喜びを感じる」ようにできています。新しいことを理解できると嬉しい。工夫して昨日より料理やメイクが上達すると嬉しい。収入が増え暮らし向きがよくなると、自分の価値も上がったような気がして喜びを感じます。特に現代は「生活や人生」と「お金」が深いかかわりを持っています。

すると、
生活レベルの上昇=「自分の値打ちも上昇した」
生活レベルが下がる=「人間としての自分の値打ちも下がってしまった」
と思ってしまうのです。

プライドの生き物である男性の自殺が多いのも、収入が減ったこと自体よりも、それに伴って、自分の値打ちが下がったと、世間から見られることに耐えられないことが原因ではないでしょうか。

ですから、住居や車や子供の教育費というような、ご近所から見て明らかに、「あそこのお宅は収入が減ったのね」と分かる部分に手をつけるのは、本当に勇気がいります。

ここをどう乗り越えるのか。人間の持つ、向上欲求に逆らうことなく、家計のリストラを実現するにはどうすればいいのでしょう?

それでは、第18のワザ をお送りします。

【第18のワザ】 恐怖心への支払いを止める

収入が減っても、それに合わせて支出を減らせない場合、自分の値打ちが下がったと思われたくない、また自分で認めたくないという、恐怖心から支払いを続けているものが必ずあると思います。

第5のワザ 「投資」と「消費」の違いを知る で、お話したことと関連しますが、動機に「恐怖心」や「あせり」があるお金の支払いが、人生に投資効果を生むことはまずありません。恐怖心を克服するには、恐怖心の中身を冷静に見る必要があります。

今、あなたが恐れている「最悪の事態」とは何でしょうか。

それが起こったとき、本当にあなたの値打ちはなくなってしまうでしょうか。

今、恐怖から手放したくないと、つかんでいるものより、もっと大切な守るべきものはありませんか?

神戸・・・阪神・淡路大震災からの復興

大学時代、大阪市の実家から、神戸大学に通っていた私は、1995年1月17日に起こった出来事をまさに実体験しています。そう、「阪神・淡路大震災」です。当時、神戸大学の4回生だった私は、卒論の仕上げと後期試験の勉強に追われていました。

早朝のずいぶんと長い地震で目を覚まし、テレビをつけました。まだ被害の実態はつかめておらず、大学へ行く支度をしながらテレビを眺めていました。そのうち分かってきたことは、震源地が神戸であること、地震の規模も被害も、かつてないくらい大きいらしいこと、阪神・阪急・JR神戸線全てがストップして大学には行けないこと。その後、神戸大学は、1ヶ月の全面休校と後期試験を全部レポート提出に代えることを発表しました。卒業間近にもかかわらず、思わぬ時間の空白ができ、「これはボランティアに行くしかない」ということで、10日程救援キャンプに詰めました。

阪急梅田〜塚口駅まではすぐに開通したので、塚口まで行き、そのあと救援キャンプがある御影(みかげ)まで、様変わりした街並みを見ながら歩きました。建物は崩れ、信号は全て止まっていました。救援キャンプでは炊き出しのお手伝いをしました。様々な出来事や人との出会いがありました。話せば長くなって、きりがないのですが、あの10日間は、私の人生にとって忘れることのできない貴重な経験をさせていただきました。

強く印象に残っているのは、毎晩、闇夜を切り裂くように響く、救急車のサイレンの音が、犠牲者の悲鳴のように聞こえたこと。それから、被災者の女性の一人が、「いつまでも悲嘆にくれていてもしょうがないから」と、毎日数時間、私たちと一緒にボランティアをされたこと(その方の行動は本当に立派だったな、なかなかできることではないと、今になって思います)。

このような事態が、これからも私たちの身にふりかかる可能性は、ゼロではないでしょう。命ひとつが助かったとしたら、どうしましょう。今まで、失いたくないとしがみ付いていたものは、取るに足らないものに見えてきませんか?

そして、試練を受け止め、たくましく復興していった神戸の町を見てどう思われますか。心からの支援と、人間として尊敬の念が湧いてくるのではないでしょうか。

収入ダウンは「カッコ悪い」ことと恐れるのは止めましょう。何かあったときは、人生を白紙に戻して、一歩一歩復興して行こうと覚悟できれば、そこからまた、前向きな人生を始めることができます。正直に現実を認め、分相応な生活から向上を目指す人には、周りの人々は暖かい励ましを送ってくれるはずです。

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